気体成分のモル分率
 穂積啓一郎
1.はじめに

 混合物中の成分濃度は%で表示するのが一般的ですが,物理化学の議論ではモル分率(mole fraction)を用いることが多いようです.モル分率では分子の数を全部で1.0とし,その中に存在する成分分子の数を0.2とか0.5とかの比率で表したものですが,数の比率だけの表現なので,成分の質量は考えていません.気体のように軽いものでは質量の実感がないので,体積比率が存在の対象になりますが,固体や液体の物質では各成分の質量があるので,存在分子の数よりも質量の比率のほうが実感を伴います.食品や薬品などで成分含量の%表示は殆ど質量比率です.それでも物理化学の本を開くとやたらにモル分率が図や実験データに現れて来るので,われわれもこれを扱い馴れておかなければなりません.

 もともと化学の基礎理論は気体で培われてきました.ラボアジエ(A. L
図1 ラボアジェ時代の実験装置
Laboisier, 1743〜1794)による酸素の発見は,空気を満たしたガラス球の中で水銀を加熱したとき,空気の体積が減ったことがきっかけでした(図1).空気中の酸素が水銀と化合して酸化水銀になったことと,同時に水銀が重くなったことから酸素の質量が分かりました.一方有機物が燃焼して二酸化炭素と水を生じることは,生成気体を化学反応で調べて分ったことで,有機物の構成要素や生成気体の質量と体積の関係が段々明らかになってきました.質量の測定法ははかりの進歩で随分精密になっていましたが,気体の体積もガラス器に目盛りを打つことで測定がし易くなっていましたから,18世紀は化学を始めるのに条件が揃っていたと言えます.

 すでにこの頃気体ポンプの発明や精密な温度計が作られて,気体の圧力や温度を変えると決まった体積変化を示すことから,ボイル−シャールの法則 (Boyle―Charles’ law) など基本的な物理化学の原理が知られていました.その頃ドルトン(J. Dolton, 1766〜1844)は単体の物質は究極の微粒子すなわち原子から成り立ち,化合物は異なる原子の集合体であるという説を主張しました.物質が違うのは原子の質量や性質が異なるからであると言うのは近代化学の幕開けです.ところが水素と酸素を反応させて,それぞれの体積や生成する水蒸気の体積を調べて見ると2:1:2の関係になり,水素は酸素の2倍の体積と反応しています.それまで水素1原子と酸素1原子が反応して水の化合物1個が出来ると言うのでは説明ができません.

 このとき気体に分子の概念を与え,その数と体積の関係を明らかにしたのはイタリアのアボガドロ(AmedeoAvogadro 1776〜1856,図2)でした.アボガドロは北部イタリアのトリノで著名な法律家の家庭に生まれ,大学では哲学と法学を修めた後,町の弁護士となりました.しかし間もなく
図2 A.Avogadro
数学と物理学に興味を持つようになり,電気や物性に関する科学論文をトリノ科学アカデミーに投稿しはじめて,次第に科学者として注目されるようになりました.1811年,35歳のとき気体分子に関する仮説を発表し,1)同温同圧の同体積の気体には同数の分子が含まれる,2)分子は複数の原子から成る(不活性ガスなどは例外),としました.この考え方は当時まだ分子の概念が無かった頃で,一般には認められず仮説のままになっていました.

 1820年トリノ大学に新設された数理物理学講座の教授となり,以後生涯をトリノで過ごしました.図2の写真では目がギョロリとして魁偉な感じですが,実際は非常に穏やかで欲のない人柄であったと言います. アボガドロの仮説が出されて50年近く経って,1860年ようやくイタリアのカンニツァーロがカールスルーエにおける第一回国際化学会議で,アボガドロの仮説が化学反応の実態に一致するとの説明を行い,以来「アボガドロの法則」(Avogadro's law)として広く化学者に受け入れられるものとなりました.残念ながらこのときにはすでにアボガドロの死後4年が経過していました.

 アボガドロの法則によって水素分子は2個の水素原子に分かれて酸
図3 水素と酸素の反応
素原子1個と結合し,このため 水素分子2個と酸素分子1個が反応して水分子2個を生じるという事実が説明されます(図3). 分子の数の比が体積の比になりますから,上の2:1:2の体積比率も納得できます.水素分子を構成する水素原子の質量を1として,これと結合したり置換したりできる当量の原子の質量を求めて原子量表が出来ました.原子量はいろいろな数値が付けられていますが,元々は一番軽い水素原子を1とした相対値です.ただしその後精密に測ると細かいところで他原子との間に不都合が出てきて,現在は炭素同位体12Cを原子量12.00の標準に使っています(天然炭素の原子量は12.01).このため水素の原子量は後になって1.008と言う中途半端な数値に修正されました.それにしても目に見えない分子の数を気体の体積に結びつけたのは驚くべき卓見で,この法則が分らなければ化学のスタートはもっと遅れたと思われます.

 さて分子の定義が決まると,1モルの水素をH2 =2.016としていろいろな分子の分子量が相対値として求められます.モル (mole) はmolecule から来ていますが,単位表示は ”mol” です.しかし分子量は水素分子との相対値であって,質量ではないので,仮に1モルの分子量にグラム単位を付けてグラムモルとし,1グラムモルの体積を調べると22.4リットルあることが分りました.水素,酸素,水それぞれの分子の1グラムモルはH2=2.016 g,O2=32.00 g,H2O=18.016 gですが,いずれもこの質量の気体は標準状態(0℃,1気圧)で22.4リットルあります.もっとも2.016 gの水素をはかりに掛けて,その体積を計ることは実際上出来ませんが,化学反応などを使って間接に測定に使った水素の質量を知ることはできます.また水は標準状態では氷になっていますが,100℃以上の水蒸気にして体積を計り,あとで0℃の状態に換算できます.いずれにしても気体1モルの体積は22.4リットルで,1モルの質量は分子量にグラム単位を付けたものであることが分りました.

 1モルの気体の質量までは分りましたが,分子1個あたりの質量はいくらかとなると,1モルの分子の数が分らないので答えが出ませんでした.気体の粘度,拡散定数,ブラウン運動などから何とか情報を取り出そうと試みましたが,あまり信頼できる結果は得られませんでした.ラジウムの崩壊速度が分っているので,それから推定されるヘリウムの生成で分子数と体積を求めることも行われましたが,現在ではX線回折法の結果が最も信頼されています.X線回折法では気体を扱うことが出来ませんが,固体ならば結晶格子の分子間距離が精密に測れますので,例えばダイヤモンドの結晶で炭素原子間の距離を測り,ダイヤモンドの密度から炭素1モル,すなわち12.01 gの体積を求め,その中に炭素原子が何個入るかを幾何学的に計算すれば1モルの中の炭素原子(分子と同じ)の数も分かります.気体の研究から1グラムモルの中の分子数は同じであると分かりましたから,同じ原則を炭素1グラムモルに当てはめてもよいはずです.この方法で1モルの物質中の分子数が分りました.この計算はアボガドロが亡くなったあと,オーストリアのロシュミットが1865年に行ったのでロシュミット数とも言われましたが,もともとはアボガドロの法則が基になっているので,今は敬意を表してアボガドロ数(正式にはアボガドロ定数)と言っています.いろいろな物質について測定した結果を総合して,次の数値が決められました.
       アボガドロ数 = 6.022×1023 mol -1
随分大きな数ですが,逆に分子一個の質量はグラムモルの数値をアボガドロ数で割って求めることができます.例えば水素分子(H2=2.016)1個の質量は次のような計算になります.
        2.016/(6.022×1023) = 0.335×10 -23 グラム

 化学反応式では分子1個か2個の相互関係で表されますが,実際には膨大な数の分子集団が混じり合って反応しています.集団現象ですか
図4 モル分率と熱伝導度
ら個々の分子に着目せず,反応系全体の中でのそれぞれの勢力を考えるのが本来です.モル分率は系全体を1としてそれぞれの成分の存在率を示しますから,複合成分の比率と物性を図などで表すのに向いています.図4は混合気体の熱伝導度ですが,横軸にモル分率が目盛ってあって,右端で第二成分100%すなわちモル分率1.0になっています.左端の0%では第二成分がなく第一成分が100%になっています.均一系であれば気体以外にも固体,液体に使われることがあります.有機元素分析では原則的に試料を燃焼分解してキャリヤーガスで運び,その中の成分濃度を測定しますが,測定には物理化学の理論と方法が使われるので,このあたり郷に入っては郷に従えでモルやモル分率の扱いが多くなります.差動法CHN分析計でも成分シグナルの補正などでモル分率の僅かな変化が重要なテーマになってきます.


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