2.7 堀川ごぼう

 京都人でも知らない方のある名前のごぼう(牛蒡)ですが,少々曰くがあるので書き
ゴボウ(左)と堀川ごぼう(右)
留めます.天正14年(1586)豊臣秀吉が豪壮な聚楽第を建設し,後陽成天皇の行幸を仰いだり,甥の秀次を関白にして住まわせたりしましたが,僅か9年で秀次を失脚させ,ついでに建物も全部とり壊しました.何処にあったのかもはっきりしませんが,昔の洛中洛外図や礎石の発掘から,現在の二条城の北,堀川通りの西あたりと言われています.聚楽第には掘か池があったらしく,その跡地はごみ捨て場になったそうで,都市の真ん中ですから食 べかすや生ごみが周囲から随分持ち込まれたと思われます.後年ごみ捨て場に土を盛って畑にしましたが,たまたま牛蒡が育ち,多分ごみが腐って栄養になり,土が柔らかかったせいで太いずん胴のものができました.外へ外へと急速に生育するので中心部に空洞が出来ています.ここに野菜や肉の食材を詰め込み,煮込んでから輪切りにするという変わったメニューができました.

 長さ60 cm,太さ10 cm,重さ1 kgほどという筒状の牛蒡で,変わった姿をしていますが,堀川通りの近くが発祥地なので「堀川ごぼう」としました.しかし固い土地を好まないのと,栽培に時間がかかるので殆ど廃れかけていました.現在は修学院近くの篤志農家が伝統を絶やさないために細々と続けています.一般家庭の食卓に載ることはあまりないでしょうが,お座敷では目を楽しませるために出されるようです.残念ながら筆者は食べたような記憶がありませんが,京都で懐石料理にでも呼ばれたときは,この堀川ごぼうが煮物の皿に載っているか気をつけてください. 

←BACK →NEXT